サム・ペキンパー 情熱と美学(2005年 ドイツ)


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今回は趣向を変えて、かなり久しぶりですが、ドキュメンタリー映画を取り上げます。タイトルは、「サム・ペキンパー 情熱と美学」です。制作国がドイツなので、カテゴリーを「ドイツ映画」とさせていただいていますが、この映画の舞台は、アメリカとメキシコです。主人公は、ドイツ系アメリカ人の映画監督サム・ペキンパーです。ペキンパーは、1925年にアメリカ・カリフォルニア州フレズノで生まれました。第2次世界大戦時に海兵隊員として従軍し、除隊後は、フレズノ州立大学に入学し、最初は歴史を専攻していましたが、途中で専攻を歴史から演劇に変え、演劇の基礎を学びます。さらに、バイオレンス映画を数多く手掛けた事で知られるドン・シーゲル監督の下で映画の勉強にも励み、映画の脚本の執筆や出演、テレビドラマの出演等をこなし、1961年、「荒野のガンマン」で映画監督デビューします。その後、「ワイルドバンチ」(1969年)、「わらの犬」(1971年)等、徹底的に現実性を追求したバイオレンス映画を次々に手掛け、「バイオレンス映画の巨匠」と呼ばれるようになりました。しかし、仕事のやり方へのこだわりが人一倍強いが故に、仕事のやり方を巡ってスタッフともめたり、私生活では、結婚と離婚を繰り返したり、アルコール依存症を患ったり、コカインに手を出したりと、波乱に満ちた日々を送り、1984年に、59歳の若さで亡くなりました。それでは、あらすじを見ていきましょう。


サム・ペキンパー
河出書房新社
ガーナー シモンズ

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「サム・ペキンパー 情熱と美学」は、1984年10月、アメリカのアップステートニューヨークで行われた、歌手ジュリアン・レノンの楽曲「ヴァロッテ」と「トゥー・レイト・フォー・グッドバイ」のビデオクリップのロケの映像で幕を開けます。ロケの現場の一角で椅子に座っているペキンパーは、スマートな体型で、髪も、口髭も白く、サングラスをかけています。物静かではありますが、話し掛けるのがとても怖いくらい、威厳に満ちています。

ペキンパーの妹のファーン・リア・ピーターは、兄の一人であるサム・ペキンパーのルーツを語っています。かつて、父方の一族は、製材所を所有していました。所有地の中にある山に、「ペキンパー山」と、一族の名を付ける程、家業は繁栄していました。一方、母方はというと、チャーチという、法律家から下院議員に転身した男性がいました。チャーチは、後にペキンパーの母方の祖父になります。ペキンパーは、幼い頃から山を愛していました。猟犬を連れ、大好きな兄のデンヴァーとよく狩りに出ていました。

ペキンパーの伝記の著者ガーナー・シモンズも、ペキンパーのルーツについて語っています。ペキンパーがまだ幼かった頃、ネイティブ・アメリカンの少女2人がペキンパー家の養女に迎えられました。ペキンパーは、当初、それを意識してか、自分で自分の事を「ネイティブ・アメリカンの血筋だ」と周囲に言っていました。しかし、ペキンパーは、オランダからドイツにかけて連なっているフリジア諸島にルーツを持つ、ドイツ系アメリカ人でした。彼の両親は結婚当初からずっと不仲だったようです。なぜなら、両親は、大恋愛の末に結婚したのではなく、チャーチの一存で結婚したからです。ペキンパーの母親は、ペキンパーを可愛がる反面、ペキンパーを抑圧し、支配しようとしました。



ペキンパーの妹・ピーター曰く、父親も、ペキンパーを厳しく躾ける必要性を感じ、ペキンパーをミリタリー・スクールに入学させました。しかし、父親の期待とは裏腹に、ペキンパーはミリタリー・スクールならではの厳しい教えを拒み続けました。受けた罰の数は、歴代トップでした。ペキンパーはミリタリー・スクールを卒業後、海兵隊に入隊します。ペキンパーにとって、海兵隊は、自分らしさと決断力を奪われる場所でした。ペキンパーが実際に海兵隊に入隊して学んだのは、ミリタリー・スクールでの厳しい教育が現場でそのまま役立つ事ではなく、現場での経験、つまり、戦争の悲惨さを目の当たりにする事が、人を確実に成長させるという事でした。



ペキンパーは、生前に、肉声をテープに収めていました。ペキンパーは、海兵隊を除隊した後、フレズノ州立大学に入学。最初は歴史を専攻していましたが、途中で、演劇に方向転換しました。ペキンパーの妹・ピーターは、彼に人生を大きく変えるほどの影響を与えたのは、大学で知り合った演劇学部の学生マリー・セランドだったと考えています。ペキンパーは、生前、こう語っていました。自身は、大学で演劇を学ぶだけでなく、「牛泥棒」、「七人の侍」等の映画をよく観に行き、劇団の夏期公演やテレビ局の裏方の仕事もこなし、ドン・シーゲル監督の下で映画の勉強もしていたと。さらに、ペキンパーは、テレビドラマ「ガンスモーク」の脚本を手掛けたり、テレビドラマ「折れた矢」シリーズに出演したりしました。さらに、「法律なき町」、「ボディ・スナッチャー/恐怖の街」といった映画にも出演したり、「ライフルマン」、「遥かなる西部」、さらに、「銃にかけた手」と、テレビ西部劇3作で演出を手掛けたりしました。ペキンパーの父親は、「遥かなる西部」をテレビで見た時、とても喜んでくれました。当時の光景が忠実に再現されていたからです。しかし、当時、ペキンパーは、表現の規制と闘わなければならず、やりたい演出をさせてもらえない悔しさを度々味わっていました。こうして、ペキンパーは、映画界に活路を求める事にしたのです。

そんな中、ペキンパーに、ついに、映画監督デビューのチャンスが訪れます。ペキンパーと親交のある俳優ブライアン・キースが、ペキンパーを「荒野のガンマン」の監督に推薦し、それが通ったのです。しかし、「荒野のガンマン」は、脚本の出来映えが酷く、ペキンパーは、手直しをしたかったのですが、当時はそれが禁じられていたため、脚本をそのまま受け入れるしかありませんでした。その後、映画は、撮影が進められ、1961年に公開されました。


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その直後、ややマシな企画がペキンパーの元に舞い込んできます。今度は、脚本の手直しが許されていました。映画のタイトルは、「昼下りの決斗」。この映画を称賛するのは、俳優・作家のR・G・アームストロングです。アームストロングは、大ベテランのウェスタン俳優ジョエル・マクリーとランドルフ・スコットが楽し気に演じている様子が伝わってくると言います。アームストロング曰く、ペキンパーは、2人の引退の花道を見事にお膳立てしたと言っても過言ではないのです。


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俳優・監督・プロデューサーのL・Q・ジョーンズは、ペキンパーの仕事への情熱を語っています。ある時、ある映画がクランクインしてすぐに雪が降りました。しかし、ペキンパーは、一切妥協をしませんでした。天候が回復せず、いったん、ロケ地を撤退した時は、不満タラタラだったそうです。また、ペキンパーは、3時間掛けて撮影する予定だったシーンを、なんと、2日間かけて撮影した事もありました。彼なりに演出のこだわりがあり、誰が何と言おうと、己のやり方を曲げなかった結果、こうなってしまったのです。そのこだわりとは、スタッフ、出演者、スタントマン、それぞれ別々にシーンの趣旨を説明し、出演者同士が趣旨の話をする事を固く禁じるというものでした。このやり方は、当然、全員を混乱させます。そこで、ペキンパーが2~3日掛けて彼らをまとめ上げるのです。こうする事で、西部で暮らした先人たちの流儀が観客に伝わってくるのです。しかし、ペキンパーが実際に手掛けたこだわりの映像は、編集泣かせでした。編集の担当者達は、作業の途中でさじを投げてしまい、結局、ペキンパー自身が編集を行う事になってしまいました。また、この映画の撮影中に、ペキンパーにとって悲しい出来事がありました。ペキンパーの父親が亡くなったのです。ペキンパーは、父親に喜んでもらうべく、父親の言いそうな台詞を散りばめてみせました。しかし、完成した映画を観てもらうという夢は叶いませんでした。その後、映画は、2本立てのおまけとして劇場公開されます。映画は、前評判とは違い、観客や批評家から高く評価され、改めて華々しく再公開されたのでした。



その後、ペキンパーは、メキシコ出身の女優ベゴニア・パラシオスと恋に落ち、周囲の反対を押し切って、結婚します。周囲は、「あまり、長続きしないだろう。」と冷ややかな目で見ていました。案の定、2人は離婚するのですが、後に、ペキンパーがパラシオスに言い寄る形で復縁します。しかし、またしても、2人は離婚。2人は、今度こそ縁が切れてしまったかに思われましたが、その後、なんと、2度目の復縁をします。パラシオスは、「彼を深く愛していたから、3回結婚したの。」と、結婚、離婚、復縁を繰り返した時代を振り返っています。


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ペキンパーは、パラシオスとの結婚を機に、性格が丸くなるのかと思いきや、全くそんな事はなく、相変わらず、仕事の進め方を巡って、スタッフともめてばかりいました。しかし、このような流儀を貫いた事が、1969年公開の映画「ワイルドバンチ」の成功に繋がり、ペキンパーは、バイオレンス映画の巨匠という地位を確立する事になるのです。しかし、…。



ペキンパーと共に仕事をした多くの人々がインタビューに応じているこの映画。他には、女優・プロデューサーのセンタ・バーガー、俳優・作家のマリオ・アドルフ、俳優のジェームズ・コバーン(※コバーンは、2002年に亡くなっているので、生前に撮影されたインタビュー映像が使われています。)らが、ペキンパーの仕事への強いこだわりを熱く語っています。3人の話から、ペキンパーに歩調を合わせなければならなかったスタッフの苦労の大きさがひしひしと伝わってきます。そんなペキンパーとスタッフとの間に入って、交渉役を務めたのが、ペキンパーの仕事のやり方に理解を示していた俳優チャールトン・ヘストンだったそうです。



この映画の最大の注目ポイントは、ペキンパーが携わった映画の予告編や本編の映像、テレビドラマの撮影風景の写真がふんだんに使われている事です。テレビで西部劇を観て育った人達が観たら、きっと懐かしい気持ちになる事間違いなしです。また、個人的には、1971年にペキンパーが監督を務めた映画「わらの犬」で主演を務めた俳優ダスティン・ホフマンのインタビュー映像がとても興味深かったです。映画の後半に登場する映像なのですが、当時34歳だったホフマンは、インタビュアーから「若手俳優を代表する存在ですね。」と話を向けられ、「『卒業』(1967年)は青年役だから若い印象が強いんだろうけど、あれからキャリアを重ね、年を重ね、今や34歳だからね。」と、表情は穏やかでありながら、自分が、演技力ではなく、世間のイメージで見られている現状に怒りを覚え、それをはっきりと口に出していました。俳優を一生の仕事にするという強い決意が感じられる映像でした。



さて、私は、最初に、ペキンパーの私生活について、「私生活では、結婚と離婚を繰り返したり」とご紹介しましたが、私は、この映画を観て、ペキンパーの女性遍歴の凄さに驚かされました。まず、ペキンパーは、フレズノ州立大学で知り合ったマリー・セランドと1946年に結婚しましたが、残念ながら、1961年に離婚しています。その後、離婚と復縁を繰り返す事になる女優ベゴニア・パラシオスと再婚。1972年になると、別の女性と結婚しますが、パラシオスのエピソードを読んでお察しのように、離婚しています。また、結婚はしませんでしたが、1970年代に、秘書のケーティ・ヘイバーと交際していた時期もありました。当時のエンターテイメントの世界ではあまり驚かないような話かもしれませんが、毎日、平凡な人生を送る私には、遥か遠い世界の話にしか見えませんでした。



バイオレンス映画の巨匠として、数々の名作映画を世に送り出したペキンパー。そう言えば、なぜ、この映画の冒頭でビデオクリップの撮影を行っているのでしょうか。ペキンパーは、なぜ、映画とは全く違う仕事をしているのでしょうか。その答えは、この映画の終盤で分かります。気になる方は、ぜひぜひチェックしてみてはいかがでしょうか。


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