ハクソー・リッジ(2016年 アメリカ・オーストラリア)





物語は、1945年5月、第2次世界大戦末期の日本・沖縄で始まります。当時、沖縄では、アメリカ軍と日本軍による激しい地上戦・沖縄戦が続いていました。沖縄戦の激戦地ハクソー・リッジでは、尊い命を失った大勢の兵士たちが横たわったままの状態で、激しい銃撃戦が繰り広げられ、巨大な炎が方々で上がっていました。そんな悲惨な光景が広がるこの場所で、一人のアメリカ軍兵士が担架で運ばれていきます。彼は、アメリカ陸軍第77歩兵師団の衛生兵・デズモンド(アンドリュー・ガーフィールド)。担架を担ぐ同じ歩兵師団の兵士たちに励まされていたデズモンドは、ただ青空を見つめていました。





沖縄戦から遡る事16年前、1929年、アメリカ・ヴァージニア州ブルーリッジ山脈。まだ幼い少年だったデズモンドは、弟・ハルと一緒に、山道を歩いていました。デズモンドは、自分よりずっと後ろを歩いていたハルに追い付かれると、「頂上まで競争だ。」と勝負を持ちかけられ、それに乗ります。2人は、自分たちより背の高い草を掻き分け、小川を乗り越え、崖をよじ登っていきます。そして、崖を見事に登り切った2人は、嬉しさのあまり、雄叫びを上げますが、デズモンドとハルの父・トム(ヒューゴ・ウィーヴィング)をよく知る大人たちが偶然、崖の下を通りかかり、2人の姿を見つけると、2人をたしなめます。しかし、2人は簡単には大人たちの言う事を聞いてくれず、大人たちは、思わず「父親にそっくりだ。」と小声で皮肉を言うのでした。



その頃、トムは地元の墓地にいました。手には、まだ昼間だというのに、小さなウィスキーの瓶がありました。トムは、ある程度の量のウィスキーを飲むと、残りを墓石に振りかけます。その後、トムが帰宅すると、デズモンドとハルが庭で取っ組み合いの喧嘩をしていました。しかし、トムは、仲裁に入ろうとせず、なんと、殴られた時の防御の仕方をデズモンドにアドバイスします。すると、デズモンドとハルの母・バーサ(レイチェル・グリフィス)が、家の窓から顔を出し、喧嘩を止めようとします。しかし、2人が喧嘩を止める気配は全くありません。デズモンドは、たまたま庭に転がっていた煉瓦を手に取り、なんと、ハルの顔を思いっきり殴ってしまいます。ハルは、煉瓦が顔に当たった衝撃で血が流れ出し、意識を失います。これには、さすがのトムも、「やりすぎだ。」と呟きます。一方、加害者となってしまったデズモンドは、まさかの事態に驚き、体が固まっていました。

ハルは、トムとバーサによって急いで家の中に運ばれ、手当てを受けます。デズモンドも、ハルを心配して様子を見守ります。しばらくして、デズモンドは、その場を離れようとしますが、トムがムチを持って近付いて来ます。幸い、トムの行動に気付いたバーサがトムを制止したおかげで、デズモンドは罰を受けずに済みましたが、バーサは日頃から息子たちを甘やかしている事をトムから批判され、デズモンドも、自分のやってしまった事にまだ少しだけ怯えていました。バーサは、プロテスタント系の宗教組織であるセブンスデー・アドベンチスト教会の敬虔な信徒として、デズモンドをこう諭します。「殺人は最悪の罪。人の命を奪う事以上に重い罪はないのよ。」と。

その後、ハルは、意識を取り戻します。しかし、その日の夜、トムとバーサは大喧嘩を始めてしまいます。デズモンドとハルは、子ども部屋のベッドで横になりながら、両親の怒鳴り声を聞いていました。しばらくして、デズモンドは、バーサを心配して、リビングルームへ行き、ソファーに腰掛けていたバーサに声を掛けます。「父さんは、僕らが嫌いなの?」とバーサに問いかけるデズモンド。すると、バーサは、「そうじゃないの。父さんは、自分が嫌いなの。」と語り始めます。ウィスキーを煽り、乱暴な言葉遣いを止めようとしないのは、本来のトムの姿ではないのです。バーサは、「戦争前のトムの姿を、息子たちに見せてやりたい。」と、いつも思っていました。トムの性格をここまで悪化させたのは、戦争でした。第1次世界大戦の末期に、トムはフランスへ出征。その時、戦友のアーティが背後から銃撃され、無残な姿で命を落とした瞬間を目撃してしまったのです。この日以来、誰よりも戦争を憎むようになったトムは、帰国後、ウィスキーを煽ったり、乱暴な言葉遣いで家族に冷たい態度を取ったりする日々を送るようになったのです。



15年後の1944年。デズモンドは、地元の教会でステンドグラスの清掃作業をしていました。教会の中では、地元の女性たちがオルガンの音に合わせて、賛美歌の練習をしています。デズモンドは、賛美歌の練習が終わると、作業の手を止め、女性たちと一緒に賛美歌の歌い方の良し悪しについて話し始めます。ところが、デズモンドは、その途中、教会の前を通りかかった1台の車が、1人の若い男性・ギルバートを轢くところを目撃してしまいます。デズモンドは、急いで外に出て、ギルバートを助けます。デズモンドは、その場に居合わせた男性に「救急車を呼ぶべきだ。」とアドバイスされますが、デズモンドは、ギルバートの左の太ももから血が噴き出しているのを見て、「(救急車を呼ぶ)時間がない。」と、自身のベルトを外して、それをギルバートの太ももに巻き、止血させます。そして、ギルバートを地元の男性が運転する赤いトラックの荷台に乗せて、自身も荷台に乗り、近くにあるリンチバーグ病院へ向かいます。リンチバーグ病院に到着すると、治療にあたった医師が、ギルバートの左の太ももにベルトが巻かれているのを見て、「君が止血したのか?」とデズモンドに尋ねます。デズモンドが「はい。」と答えると、医師はデズモンドの機転に感心します。



その後、デズモンドは、院内でひたすら献身的に仕事をこなす医師や看護師の姿にじっと見入ってしまいます。そして、看護師の一人であるドロシー(テリーサ・パーマー)に声を掛けます。ドロシーが献血を担当している事を知ったデズモンドは、生まれて初めて献血を行います。献血を行っている間、デズモンドは、ドロシーとは初対面であるにもかかわらず、何の躊躇もなく、かつて医師を目指していた事、しかし、事情があって医学を学べる学校に行けなかった事、自身が住んでいる町・フォートヒルの事などをドロシーに打ち明けます。この時、デズモンドは、今まで感じた事のない居心地の良さを感じていました。翌日、デズモンドは、いつもとは違うお洒落な服に身を包み、ある場所へ出掛けて行きます。なんと、前日に出会ったばかりのドロシーに告白をしに、再びリンチバーグ病院へ向かったのです。告白をした結果、デズモンドは、まず、ドロシーと一緒に、映画館へ映画を観に行く事になりました。しかし、生まれて初めて恋人ができたデズモンドにとって、同年代の女性とコミュニケーションを取るのは、なかなか難しい事でした。デズモンドの口から出てくるのは、医学の質問ばかり。ドロシーとファーストキスをした時も、ドロシーがまだ心の準備ができていない時にやや強引にしてしまい、お互いの歯車がなかなか噛み合いませんでした。



その日の夜、デズモンドは映画館から帰宅し、トム、バーサと一緒に夕食を摂っていました。その時、ハル(ナサニエル・ブゾリック)が軍服に身を包んで帰宅し、皆を驚かせます。実は、ハルは、家族に黙って、アメリカ軍に入隊したのです。フォートヒルから大勢の若い男性たちが出征していくのを見て、「工場で働くだけの自分は、無力なのではないか。」と考えるようになり、ついに、こうして行動に出たのです。「殺人は、最悪の罪。」と、繰り返し息子たちに教えてきたバーサは、ハルの取った行動を責めてしまいます。

ある日の朝、デズモンドは、ドロシーをリンチバーグ病院へ送り届けます。病院に到着した時、デズモンドは、ある決意をドロシーに話します。アメリカ陸軍に入隊する、衛生兵として。カップルとしてお互いに絆を深め、いつ結婚しておかしくないと思っていたドロシーは、デズモンドのまさかの告白に動揺します。そして、「私にプロポーズしない気なの?」と正直に気持ちをぶつけます。勿論、デズモンドは、ドロシーの気持ちを無視するつもりはなく、その場でプロポーズします。こうして、2人は、デズモンドの出征後最初の休暇の時に挙式をする約束をしたのでした。数日後、デズモンドは、ドロシーに見送られ、フォートヒルを離れます。デズモンドは、ドロシーと離れる際に、片手ほどの大きさの聖書を渡されます。そこには、笑顔のドロシーが映った写真が挟んでありました。写真の裏には、「無事に私の元に帰って。愛してる。」とメッセージが書かれてありました。



デズモンドが向かったのは、ジャクソン基地。グローヴァー大尉(サム・ワーシントン)の部隊に配属され、ハウエル軍曹(ヴィンス・ヴォーン)から厳しい訓練を受ける日々が始まります。しかし、幼い頃に人を殺める事の悲惨さをバーサから叩きこまれ、自身も敬虔なセブンスデー・アドベンチスト教会の信徒となっていたデズモンドは、銃器を手に持つ事を固く拒み、ハウエル軍曹や若い兵士たちから臆病者とみなされ、身体的な暴力や言葉の暴力を受ける日々を送るようになるだけでなく、最初の休暇も取らせてもらえず、軍法会議にかけられる事になってしまいます。

デズモンドは、最初、司法取引で、ハウエル軍曹の命令に背いたという罪を認め、フォートヒルに帰るはずでした。しかし、デズモンドは、あくまで自身の宗教観を守っただけであり、ハウエル軍曹の命令を端から否定した訳ではなかったため、軍法会議が始まる直前になって、無罪を主張します。軍法会議を取り仕切るマスグローヴ准将から、陸軍に志願した理由を問われたデズモンドは、こう答えます。「真珠湾攻撃に衝撃を受けたからです。」と。デズモンドは、地元に住んでいた2人の仲間と一緒に陸軍に志願しました。しかし、2人は、入隊検査で不合格になり、それぞれ自ら命を絶ちました。2人の死後、デズモンドは、兵役を免除され、軍需工場で働いていましたが、他の男性たちが戦死していく中で、アメリカに全く貢献できていない自分が嫌になっていきました。しかし、必要な事とは言え、戦争で人を殺める事は絶対にできません。そこで、デズモンドは、衛生兵になって、負傷した兵士たちを救おうと決意したのです。しかし、デズモンドの主張は通らず、有罪が言い渡されるのはほぼ間違いない状態となります。

ところが、判決が出ようとしていたその時に、ある軍服姿の男性が、2人の兵士たちの制止を振り切って、やって来ます。その人物とは、第1次世界大戦で、戦争の残酷さを嫌という程味わった、デズモンドの父・トムでした。トムの右手には、我が息子を救うためにしたためた1通の手紙がしっかりと握られていました。トムは、マスグローヴ准将に手紙を渡すと、その場を去ります。手紙には、デズモンドのような良心的兵役拒否の権利が議会法で守られている事について触れられていました。勿論、銃を含めた武器を取る命令を拒む権利もそこに含まれています。軍法会議に立ち会っていたステルザー大佐(リチャード・ロクスバーグ)は訴えを取り下げ、デズモンドは、ようやくドロシーと結婚する事ができたのでした。



1945年5月、デズモンドは、既に基本的な軍事訓練と衛生兵としての訓練を終え、第77歩兵師団の衛生兵として、日本の沖縄に出征していました。デズモンドらとすれ違うトラックの荷台には、頭から大量の血を流して戦死した兵士たちが、まるで物のような扱いで、山のように積まれていました。彼らは、先発の第96歩兵師団の兵士でした。第96歩兵師団は、沖縄戦の激戦地となった高さ150メートルの崖「ハクソー・リッジ」に6回登ったのですが、6回とも日本軍に撃退され、最後だった6回目では、壊滅状態に追い込まれていました。デズモンドたちは、兵士の数が大きく減った第96歩兵師団に合流するため、沖縄に来たのです。デズモンドは、第96歩兵師団の衛生兵・シェクター、ペイジと行動を共にする事になりました。シェクターは、「ハクソー・リッジ」での悲劇をデズモンドをはじめとする兵士たちに語り、デズモンドに赤十字の腕章を外す事を勧めます。衛生兵は白地に赤十字の印の腕章を身に付けるだけで、敵に狙われやすいのです。シェクターの口から語られた生の声は、デズモンドに過酷な現実を突きつけたのでした…。



ここで、沖縄戦について少し触れたいと思います。第2次世界大戦中、太平洋の島々を奪っていったアメリカ軍は、次に日本の本土を攻めようとしていました。そのためには、まず沖縄を占領する必要がありました。日本軍は、これに対し、アメリカ軍をなるべく沖縄に留まらせて、時間を稼ぐ持久戦を実行しようと考えました。沖縄が最初に大きな被害を受けたのは、1944年10月の「10・10空襲」です。軍人、民間人合わせて、668人が亡くなりました。1945年3月、アメリカ軍が空襲や海上からの砲撃に続き、沖縄本島の西に浮かぶ慶良間(けらま)諸島に上陸。同年4月1日には、沖縄本島中部の西海岸に上陸します。こうして、沖縄戦が始まりました。その後、アメリカ軍はわずか2週間で沖縄本島を占領。沖縄本島の中部では、アメリカ軍と日本軍による激しい戦いが約40日間続きました。沖縄本島の南部・浦添市にあった日本軍の陣地・前田高地(英語名:ハクソー・リッジ)でも激しい戦いが繰り広げられました。アメリカ軍の衛生兵・デズモンドが、この地でアメリカ軍と日本軍、両方の兵士たちを救った実話を描いたのが、この映画なのです。



この後、物語は、デズモンドたちが沖縄で攻撃に携わるシーンへと続いていくのですが、数多くの遺体のあまりの生々しい再現ぶりに目を覆いたくなりました。胴体から内臓の大部分が飛び出していたり、腐敗がかなり進んでいたり、遺体の周りを野ネズミが行ったり来たりしていたりと、メガホンを取ったメル・ギブソン監督が、戦争の悲惨さを正直に伝えるべく、表現の限界に懸命に挑んでいるという印象を受けました。兵士たちが戦争で命を落とす事は、戦争を知る人と知らない人の両者を、こんなにも悲しくさせるのですね。特に、沖縄戦の場合は、人間がいつ、地上で銃撃によって命を奪われ、体が原形をとどめない状態にされてしまうのかが分からなかったという意味では、恐ろし過ぎたのではないでしょうか。この映画を観ると、沖縄戦での悲劇が後世に語り継がれなければならない理由が、本当によく分かります。戦争映画の中には、ここまで正直に歴史を描いたものがあってもいいのではないかと思いました。



さらにこの後、デズモンドは、数え切れないほどの銃弾が飛び交う中、負傷した第77歩兵師団の兵士たちの救護にあたります。デズモンドは、時々、衛生兵のシェクターから「もう長くはもたない」と、重傷の兵士の救護を諦めるよう言われる事もありますが、兵士が少しでも息をしている事が分かると、救護に全力を注ぎます。最初は、第77歩兵師団の兵士たちを救護していたデズモンドでしたが、ある事がきっかけで、後に日本軍の兵士も救護します。デズモンドは、最終的にこの沖縄戦で75人の負傷兵を救います。そして、1945年10月、その功績が認められ、良心的兵役拒否者では初めて、アメリカ軍兵士最高の名誉である名誉勲章を授与されました。



沖縄戦が終結したのは、1945年6月23日の事でした。死者数は、推計ではありますが、アメリカ軍の兵士、日本軍の兵士、沖縄県民を合わせて、約20万人と言われており、当時の沖縄県民の4人に1人が亡くなった事になります。当時は、家族全員が亡くなったという沖縄県民のケースが多く、戸籍が焼けてしまっている事から、亡くなった人の中には、名前が今も不明のままの人たちがいます。一体誰が亡くなったのか、全く手掛かりが掴めないのは、胸が苦しくなるというか、亡くなった本人に対して大変申し訳ない気持ちになります。次の日曜日は、6月23日です。この映画をぜひご覧になって、沖縄戦で犠牲となった人たちの気持ちに少しでも寄り添っていただけたらと願っています。





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